上海大将
まだ夏には猶予があるってのに蒸し暑い。快適なオフィスから外へ出ると、昼間の熱気が残るべたべたとした夕暮れがおれを包み込む。
それでも、ここのところ夜中にしか帰れなかったおれにとっては季節を感じられるだけまだまし。
こんな日には、キンと冷やしたエネルゴンビールと熱々のエネルゴン餃子の補給が必要だろう。そう思って市場のアーケードをくぐると、そこだけ時代が止まっている。
はげたペンキがみすぼらしい看板、前いつ売れたのか思い出すのも難しそうな、ほこりを被った商品を棚に並べた商店、その前に座りこんでいるのは、一日中飲んだくれてる人生の先輩達だ。おまけに袋小路の前を通ると、廃オイルのにおいがツンとする。
こんなところで本当に美味い餃子が食えるのか? 俺は不安になりながらも教えてもらった店を探す。
アルファートリンと同い年のお姉さんしかいないであろう夜の店の角を曲がると、この寂れた市場で唯一煌々と輝く明かりを見つけ、俺は足早にそこへ近づいた。
「将軍」と漢字ででかでかと書かれた看板。あちらこちらへ無秩序に張られた紙にはおいしそうな料理の名前が書かれている。
ここだ、ここ。
オープンキッチンといえば聞こえがいいが、単に厨房の窓を開け放しているだけの小さな店。
窓の外に無理やりカウンターをしつらえているのだが、時間が少し早いのとあまりのあやしさに座っていいもんかと躊躇してると、ガタイのいいおっさんがおれより先にカウンターに近づき、慣れた様子で椅子に座った。
おれも真似してカウンターへ近づくと、椅子が無い。
「これ使え」
でかくて黒いおっさんが自分の側にしまってある折り畳みの椅子を引っ張り出し、おれに手渡した。
おれは軽く礼を言い、怪しい市場の怪しいカウンターにこのむさいおっさんと並んで座る。常連とローカルルールがある店にはじめてくる時は緊張する。だが、このコアラみたいなおっさんのマネをしていれば間違いないだろう。
「バンブルビー、餃子とビール」
開けた窓から中の厨房に向かっておっさんがぶっきらぼうに声をかけた。小さな厨房の中では、バンブルビーと呼ばれた黄色がガスに火をつけ、フライパンを載せた後、冷蔵庫から缶ビールを出す。
窓から手を伸ばして外のおっさんにビールを手渡すと、黄色は俺のほうを向いた。ずいぶんと若い。子供みたいだ。
オーダーを促され、俺は周りをぐるっと見回した。短冊に達筆で書かれたメニュー。焼餃子、水餃子、蒸餃子、小籠包、あと読めない。達筆すぎて。こっちには来たばかりだから漢字はまだ苦手だ。
「コレ何?」
俺がメニューを指差すと、黄色は困ったように首をかしげ、手をくいくいと動かしなが言った。
「××を……しゃぶしゃぶする。しゃぶしゃぶ」
かすれた声に片言の言葉。他所から来たのかもしれない。
わからねぇ〜。
俺は諦めて、隣のトップキックのおっさんと同じ餃子とビールを注文した。
「大将は? サボってるのか?」
「カイモノ」
おっさんが聞くと、一生懸命な横顔でフライパンの火加減を見ながら黄色が返事をする。おっさんはおれに「茶はあそこだ」と教えてくれた。よく見るとこのおっさん切り傷だらけだ。ぶっきらぼうだしどう見てもかたぎじゃなさそうだが、おれはこの世話好きのおっさんが好きなった。
おっさんが教えてくれたキーパーからぺらぺらのプラスチックコップに冷やしたエネルゴン茶を入れ一息つく。この茶が予想外に美味しくておれは感動した。場末の餃子屋の癖にいいものを使ってちゃんと淹れている。
もう一杯茶を入れようと立ち上がり、おれは小さな店の周りに人が集まっているのに気がついた。
GMCのおっさんがたまたま側に来た奴に声をかける。
「向かいのペイント屋が閉まらないと店は広げられんぞ。座るか?」
生憎席は俺とこわもてのおっさんの間の一つしかなく、二人連れは断った。二人居てよかったという顔をしていた。おれは、このおっさんは厳つい風貌のクマコアラだけどいいおっさんなのにな。と思った。おれも席の間一つ空けちゃったけど。
「おう、大将」
おっさんが嬉しそうな声を出した。俺はつられてふり向くと同時に固まった。
すごいおれ好み……!
ぽかんとしているおれの前を青と赤のボディがゆっくり通り過ぎ、開けっ放しの出入り口から厨房に入る。一人が心細かったらしい黄色が嬉しそうに耳をピコピコさせた。
黄色と厨房を交代して、「さあ、一仕事始めるか」そんな感じで首をぐるっと回し、火加減を調節すると、おれをちらっと見る。そんな仕草もなんだかセクシー。
「注文は?」
「あ、もう、しました。餃子とビール」
なぜか敬語のおれ。
ビールがまだなのに気付き、冷蔵庫から取り出して渡してくれる。それだけで嬉しいおれ。
いや、これは、アタリだ。俺的に大当たりだ。餃子はまだ食ってないけど、アタリだ。なんて今日はいい日なんだ……!
俺は明日から毎日ここに通う事を心に誓った。おっさんよ、明日からアンタの隣に座るおれをよろしくな!
こわもてのおっさんも、餃子屋の麗人に嬉しそうに話しかけている。
将軍? 大将? おれが迷っている間に、この綺麗な人は黄色に何かを指示した。黄色が頷いて外に出る。
なんとなく見てると、黄色が折りたたみ式のテーブルを路に広げている。気がつけば向かいの店はシャッターを下ろしていた。狭い通路を占領するから、向かいの店が閉まるのを待ってたんだな。黄色がテーブルをセッティングする側から占領されていく。すごい人気だ。おれは早い時間に来て座れてラッキーだった。
厨房に戻った黄色は、出来上がった餃子を受け取るとおれの前に皿を置いた。
「ギョウザ」
かすれた声。声を出すのが辛いらしい。
こいつは片言だしあまり喋らないのだが、何をするのも一生懸命で、若いせいもあるんだろうが可愛い。
熱々の餃子を頬張る。美味い。モチモチの皮は最初見たときは厚すぎるかと思ったが、透明な肉汁があふれ出すジューシーな餡と混然一体となって絶妙な味を出す。俺は無言で口を動かし、口の中の至福を楽しんだ。
あー、幸せだ。
蒸し暑い不快な夜に、きったない市場で、暑苦しいおっさんと、ぶんぶん飛び回る蜂のように忙しく動き回る黄色と、泰然とした姿で餃子を焼いたりゆでたりしてる美人と一緒に餃子を食うのがこんなに楽しいとは思わなかった。
おれが追加注文をしようとすると、電話が鳴った。これまた年代モノの携帯電話を黄色が取って注文をきいている。さっきからちょくちょく電話注文があり、そのたびに黄色は片言の一生懸命で対応していたんだけど、今度はちょっと違った。
「それだけ? けち!」
そう言うと黄色は怒ったように電話を切る。
「オプティマス。注文、水餃子二百個」
「誰からだ?」
「メガトロン!」
黄色はぷりぷりしてる。
あの人はオプティマスって言うんだと俺はしっかり記憶した。
オプティマスはひとつ排気すると電話を取ってどこかへかける。話し終ると、電話しながら書き込んでいたメモを黄色に見せる。
「バンブルビー、注文は正確にとれ」
「ちゃんと取ったよ。オプティマスだからいいかっこしようとしてオーダー増やしたんだ!」
オプティマスに向けて送信した文字が近くにいた俺にも伝わった。俺は黄色を見る。こいつ、上手く喋れないからこういう時は字なんだな。
思ったとおりに喋れないのや怒られたのが悔しいのか、黄色は苛立たしそうな顔で下を向いた。
大量注文が入ったので、厨房はにわかに忙しくなった。黄色も次から次へとやって来る客を捌くのに精一杯で、二人の間は微妙に気まずいまま時が流れる。
餃子はなかなか来ないけど、忙しいのはみんな判ってるから誰も文句を言わない。すぐに出せるつまみを注文して、エネルゴンビールをあおる。仕事帰りの開放感からか、つまみが美味しいせいか、これから美味しい餃子が食べられるからか、みんな笑顔だ。
おれも二本目のビールを飲んで餃子を待っていると、一斉にテーブルの客が椅子をがたがた移動させたのでそっちを見る。ただでさえ広いと言えない通路にテーブルがひしめき合ってえらい狭く、移動するのは一苦労なんだが、やってくる誰かが通りやすいようにみんなが道を空けている。
どこのお偉いさんがこんな場末の市場にきたんだ?
おれは心の中で揶揄しながら広げられた通路の先を見ると、口に含んでいたビールを噴出しそうになった。
でけえ。あと怖ええ。こいつヤクザだろ絶対。
そんな風貌のでかい銀色がこっちに近づいてくる。
気に入らない奴は真っ二つにちぎりそうだ。そんな危険なにおいがプンプン。そりゃ場所も空ける。一生係わり合いになりたくないタイプ。
雑魚どもは眼中になしというような傲慢な態度で、そいつはあけてもらった通路をさも当然というようにゆっくりと歩く。モーゼかお前は。下げた皿を両手に持った黄色がにらみ付けるが、相手にしない。
ヤクザがこの店に嫌がらせしにきたのか? って最初思った。ヤクザから店を守ってオプティマスから熱い視線を受けるかっこいいおれってシナリオを一瞬描いたが、現実だと多分おれはこいつに二つにちぎられるだろう。
ヤクザはテーブルの間を通り過ぎ、厨房の出入り口まで来ると中を覗き込んだ。
「オプティマス」
なんだよ、なれなれしく名前呼び? 俺は一瞬でこいつが嫌いになった。嘘だ。本当はさっきから嫌いだ。
さらにショックなことに、オプティマスは調理の手を休めてわざわざそいつに近づいていった。まあ、大量注文する常連さんは大事にするよな。自分に言い聞かせる。
「忙しいのに、わざわざお前が取りに来たのか?」
「お前の顔を見にきたんだ」
ケッ! っておれは思ったけど、オプティマスは嬉しそうにふふって笑った。少し照れたような控えめな笑みが艶めかしくて、スパークと下半身にズキュンときた。おれのすぐ後ろの席に座ってるおっさんも、その隣のおっさんも、向こうのチャライ若者達も、その場にいるほぼ全員がズキュンときてた。おれも餃子を二百個注文したらあんな風に笑ってもらえるだろうか? だったら給料だけでなく貯金をつぎ込む準備がある。
俺は理解した。誰もオプティマスに抜け駆けせず、大人しく餃子を食べているのは、このヤクザのせいなんだなって。
オプティマスにちょっとでもちょっかいを出したら、あのヤクザに半殺しにされるシステムなんだ。
その場にいるほとんど全員が、仕事の後のビール最高という顔をしながら、聴覚センサーの感度を最大にして二人の会話を拾っている。
「忙しそうだな。少しは休んだらどうだ? 旅行にでも連れて行ってやるぞ」
ヤクザがトンでもない事を言い出した。
こいつが旅行だなんて、ぜったいエロい事をしようと企んでいるに決まっている。
ちょっとでも隙をみせたらあんな事やこんな事を……ってちょっといけない想像しかけた。すいません!
何口説いてるんだこのクソ野郎がっていう不穏な空気が急激に立ちこめ、ここらへんの気温が二度くらい上がった。
コイツが店に通う目的が餃子ではないことはミエミエだ。こいつが食いたいのは餃子じゃなくて餃子を作ってる方だ。
「おまえの厚意は嬉しいが、店を休まないといけないから無理だ」
オプティマスの返事を聞いて、場の空気がふわっと和む。
「ざまあみろ」おれたちは初対面だったが、同じ気持ちで視線を合わせ、微笑みあった。
「いいのではないか、数日くらいは……。客も許してくれるだろう?」
ぎろっと周りの客を睨んで、ヤクザは明らかにおれたちを恫喝した。「たまには休んでいいですよ、大将」って言わせようという魂胆だ。
ヤクザの一番近くにいる奴は恐怖のあまりガタガタと震えて手に持ったビールがこぼれているが口を開こうとしない。頑張れ、超がんばれ!!
他の客の誰も裏切ることはせず、さっと二人から目をそらし、一日の終わりにここでエネルゴン餃子を食べるのが毎日の楽しみなんだよ〜と世間話を装って呟く。おれたち一人一人は力が無いが、なんて団結力だ。感動したぜ。憧れの人を目の前で傲慢ヤクザに掻っ攫われるとか死んでもごめんだからな。
おれは隣の厳ついおっさんを見た。このおっさんなら何とかしてくれそうだと思ったのだが、おっさんは空気読まずに熱々の餃子に夢中でハフハフしていた。多分、このおっさんはオプティマス目当の邪な気持ちでなく、純粋に餃子が好きな唯一の存在だ。世の中うまくいかないぜ。
ガタガタ震えている奴はヤクザの冷たい視線を受けて煙が出ている。ヤバイ、限界だ。もうおれは死を覚悟して、二人の間を割っておれの餃子まだですかって言おうと思った。
「オプティマス、焦げるよ!」
俺が声を上げる寸前の、皿を持った黄色の怒った声。
オプティマスははっとして火元へ戻っていった。ヤクザが、逃がした大きな魚の背を見てちっと舌打ちする。
黄色は餃子を詰めたテイクアウト用のパックが沢山入った袋を四つもヤクザに押し付ける。
「冷めるから早く持って帰って!」
「考えておいてくれ」
厨房の奥に向かって、入り口から身を乗り出しヤクザが叫ぶ。オプティマスは後姿で頷いた。
「忙しいんだから、オプティマスは旅行なんか行かないよ!」
黄色が高速でメッセージを送り、ぐいぐいと両手でヤクザを厨房から押し出した。
「早く帰らないと冷めるってば!」
「早く? だと」
黄色の抗議に、ヤクザはふんと鼻で笑ってトランスフォームした。
銀色のジェットを見て、俺は内心焦った。
飛べるのかよ、こいつ……!
どこまで嫌味なんだ。これ以上差をつけられたら絶望的だぞ。
爆風ととともにヤクザは一瞬で姿を消した。クソ、速いの鼻にかけやがってむかつく奴だ。こんな狭い所で非常識にトランスフォームするなんて、飛べないおれたちへの自慢以外の何物でもない。のろまな貴様らと一緒にするなって言いたいんだ。
「おいら大嫌いだアイツ!!!」
後片付けがものすごく大変そうな惨状を見て、黄色がかすれた声で力いっぱい叫んだ。
「おれもだよ」
おれは立ち上がり、爆風で滅茶苦茶になったテーブルの片付けを手伝ってやった。
ENDE.
続くかも。
前にも変な妄想しました(1、2)が、あらためて上海大将将軍オプティマス(TF2版ボイジャークラスオプティマス)がうさんくさい。
(ボディに金で「上海」「大将」という漢字が入っています)
字が入っただけですごい破壊力だな〜。 買った方があげてた画像を見てる時、なぜかみくろさんが玄田マネ声で「すまんが、水餃子は切れている……」とオプティマスの台詞を付けてくれたので、私の中で上海大将オプティマスは餃子屋を営んでいることになりました。 そういえばゲームでバンブルビーが水餃子屋の前でかっこつけてました。
20090614 UP