Amnesia Lucifer







 闇の中に輝く赤い目。綺麗だと思って手を伸ばした。
 素直にそれが欲しかった。
 仰向けに寝たまま上へ手を伸ばし、指先が頬に触れようとした時、乱暴に手首を捉まれた。ぐいと強引に引き寄せられ、力強い腕が背に回される。
 赤い輝きがほんの近くにある。
「ようやく見つけたぞ」
 低い声が唸るように囁いた。
「メガトロン……」
 その腕に抱かれ、オプティマスが気だるい排気と共に呟いた。
「俺に侵入したのは貴様だな」
 敵意をむき出しにした赤い目と、悲しい光を湛えた青い目がぶつかり合う。
「私の侵入経路をトレースして来たのか……」
 オプティマスの言葉に返事は無かった。メガトロンの警戒した目がオプティマスをじっと観察している。まるで、初めて見た敵の力を擦る目。
 愛する人を捜して冥府に下った神話のように、オプティマスもメガトロンを捜してオールスパークを彷徨い、メガトロンのスパークを捕まえた。
 メガトロンのスパークに侵入したのはほんの少し前の事だ。
 その疲労から再び深いスリープ状態に落ちたオプティマスは胸騒ぎで意識を引き戻された。ぼんやりと目をひらくと、そこにあったのは闇に輝く赤い目。
 ラチェットの思惑ではオプティマスの侵入はメガトロンに気付かれぬはずだったが、オールスパークの中で眠っていたメガトロンが目覚め、オプティマスに接触してきた理由はそれしか思い当たらない。メガトロンはオプティマスの侵入に気付き、追跡してきたのだ。
「お前は本当に油断できんな」
 オプティマスはそう言いながらメガトロンをゆっくり押しのけ、立ち上がった。
 ボディは破壊され、かろうじてスパークを保っている幽霊のような存在になっても、メガトロンはオプティマスの侵入を見破り、大胆不敵にも敵であるオプティマスのスパークへ乗り込んで来さえした。オプティマスは素直に賞賛を送る。
 海底深くにメガトロンの体は沈んでいる。
 破壊されて動かない体は人類によって重い鎖が幾重にも巻かれた。二度と蘇らないようにと施された封印のように。
 漆黒の闇の中、泥に体を沈め、水圧の檻に閉じ込められている。死してなお人類に恐怖を与えながら。
 胸を深く抉るようにあいた暗い穴は、メガトロンが二度と動かぬ事を示していた。それにもかかわらず、かつてメガトロンだった鉄くずに人類は怯え、莫大な費用と手間をかけて監視を続けている。
 実に不合理で無駄に見える人類のその行為について、オプティマスは密かに感嘆していた。
 メガトロンは死んだ。だが、蘇る確立はゼロではない。オールスパークの中でオプティマスが探し出したメガトロンのスパークは霧散してはいなかった。完全な体と、膨大なエネルギーがあれば、メガトロンをオールスパークから呼び戻せる可能性は有る。
 それを知らぬはずの人類がメガトロンの復活を恐れるのは、野蛮で未成熟な人類が持つ原始の危機察知能力だろうか? 時に合理的でない判断が結果的に正しい事もあるのだとオプティマスは人類から学んだ。
 最も、万が一メガトロンが蘇れば、人類の防衛網など紙を破るようにたやすく突破されるだろうが。
 だが、今現在のメガトロンには何の力も無い。下等な人類ごときに海に捨てられるという許しがたい仕打ちにもなす術なく、海底で錆の侵食に身を任せている。
 オプティマスの接触が無ければスパークも眠り続けていただろう。やがて体が朽ちて、メガトロンのスパークはオールスパークの中に溶け込み、消えるはずだった。
「貴様がうろつくから眠れん」
 メガトロンは苛々して言った。なぜこんなに苛々するのか自分でも判らない。
「悪かったな。眠るのが嫌なら私が相手をしてやる。だが言わせて貰うが、先にお前が私に侵入してきたのだぞ」
 オプティマスがメガトロンを宥めると、メガトロンが警戒心を露にしてオプティマスを睨んだ。
「貴様は何者だ? なぜ俺の中に入る? なぜそんな事ができるのだ。それに、俺がお前に入って来たとはどういうことだ?」
 メガトロンの立て続けの質問に聞き捨てならぬ言葉を聞き、驚きでオプティマスの目が見開かれた。
 メガトロンは何を言っている?
 かつては愛し合い、今は殺しあう。
 気が遠くなるほどはるか昔から強い因縁で結ばれた私に向かって、よりにもよって『何者だ』などと。
 驚きの表情が消えると、オプティマスの目が不機嫌そうに細められ、剣呑な光を帯びる。
「私の顔が判らないとは、お前のブレインサーキットは錆だらけのスクラップになりさがったようだな」
 オプティマスの声に怒りが混じり、二人は険悪な雰囲気で睨みあった。
「質問に答えろ」
 オプティマスを怒らせる怖さまでも忘れたメガトロンが横暴に言い、オプティマスの怒りが危険な域にまで増した。
「私はオプティマス・プライム。簡単だが全ての答えだ。役立たずの頭を落とされたくなければ今すぐ思い出せ。回復能力を全て記憶の修復に振り分けろ」
 口調は静かだが、オプティマスから立ち上る怒りの凄まじさにメガトロンの体が自然に戦闘体制をとる。
「この私を忘れるなど許さんぞ、メガトロン」
 これ以上私を怒らせれば、お前の首を落とす。オプティマスの目と口調はそう警告している。
 怒りに燃える目で言い放ったオプティマスに向かってメガトロンは口を開いた。
「俺はお前を殺さなければならない」
 オプティマスは無言でマスクを下ろした。怒りよりも悲しい目をしてメガトロンをじっと見る。それ以上は聞きたくない。だが、メガトロンは容赦なくオプティマスに残酷な言葉を突きつける。
「お前は俺の敵だ」
 一片の迷いも無くメガトロンははっきりと言った。その言葉がオプティマスの胸を切り裂き鋭い痛みが走る。怒りは爆発するのではなく急速に萎え、代わりにどっと襲ってきた虚無が体中の力を奪う。
「そうだ。そんな事だけ覚えているのだな」
 悲しみと怒りとでオプティマスの声が震える。痛みで頭がくらくらする。
「私を殺すか? 戦う気なら受けてたつぞ。うんざりするほど昔からお前と私はそうやってきた」
 記憶が無くとも、メガトロンはオプティマスを拒絶した。それが悲しくて仕方がない。
「今のお前には私しかいないというのに、それでも争わないといけないとは情けない」
 投げやりに言ったオプティマスをメガトロンは冷たく見つめ、静かに口をひらく。
「もう一つ質問に答えろ」
「何だ?」
 危険を冒してオールスパークの中を旅し、ようやく探し出したメガトロンにこんな辛い仕打ちをうけ、なんの希望も無く、悲しみと絶望に沈むオプティマスは気だるげにメガトロンに返事をした。
 メガトロンはオプティマスの顎を掴み、強引に上向けてまじまじと見つめる。
「俺はお前を愛している。敵のはずのお前を。何故だ?」
 抵抗する気力の失せたオプティマスの瞳を覗き込み、メガトロンはいともあっさりとオプティマスへの愛を告白した。
「愛してる、だと? 私の事を覚えても無いくせに……」
 オプティマスの体が一瞬震え、かすれた声でようやく呟く。
 怒りと呆れと喜びが混ざった複雑な気持ちでメガトロンを見上げる。
 なぜメガトロンは私をかき乱すのが天才的に上手いのだと、その才能を与えたプライマスを呪いたくなった。
「お前が誰か判らんが、どうしようもなく愛している。俺が覚えているのはそれだけだ。今すぐお前を俺のものにしたい。俺が理性を保っているうちに早く答えろ」
 オプティマスを欲しがり、メガトロンの瞳の奥に雄の欲望が覗く。その目とリンクするのは、かつて愛された幸せな記憶と、体中を震わせ、ブレインサーキットが真っ白になるほど味合わされた強烈な快楽。
 オプティマスの体の奥に眠っていた欲望が目を覚ます。
「知ったところでどうする?」
 挑発するようにメガトロンを見つめ、オプティマスは笑みを浮かべながら言った。
「そうだな、では質問を変える」
 口調は冷静だったが、メガトロンの目に浮かぶオプティマスへの欲望が色濃くなった。
「お前は俺を愛しているか?」
 予想外の質問にオプティマスは絶句した。ゆっくり瞬きする。
「その答え如何にもよるな。お前を殺すべきか、それとも愛してやるべきか」
 メガトロンは両極端の選択肢からオプティマスの運命を選ぼうとしている。オプティマスのよく知る横柄で尊大な態度で。
 オプティマスが言いよどんでいると、メガトロンが急に声を出した。
「ああ……」
 メガトロンのオプティマスを見る目が変わる。
「思い出したぞ」
 メガトロンの言葉にオプティマスの動きが止まった。
 思い出した? 何を? メガトロンの最後を思えば、嫌な予感と不安しかない。
「俺は前にも同じ事をお前に聞いたな? 俺を愛しているかと。お前がオートボットの司令官に任命されて、その就任式の後にだ。俺はお前の返事をまだ聞いていないぞ」
 オプティマスに繋がる記憶が戻った事で、メガトロンの口調が砕けたものになった。
 メガトロンの言葉にオプティマスは面食らう。
 いつの話をしているのだ、こいつは。
 本当に本当に遠い昔の話だ。
 メガトロンが思い出したのは、お互いの気持ちを確かめ合った、一番幸せだった日の記憶。
 呆れながらも、甘い思い出にオプティマスの胸が締め付けられる。
「約束の場所になぜ来なかった? 俺はずっと待っていたのだぞ」
 辛い記憶を飛び越し、時間は大幅に巻き戻され、あの日に戻ったメガトロンが拗ねる。
 オプティマスにも懐かしく輝かしい記憶が蘇った。
 そうだった。あの日、私はメガトロンとの約束を守らなかった。
 愛しているとメガトロンに言われて、空いた部屋に隠れてキスをして。私の返事は後で聞かせると思わせぶりに会う約束をしたのに、メガトロンに待ちぼうけを食らわせてしまった。
 未熟な恋人だった私は上手く謝れずに恋人になって早々大喧嘩したのだった。
「メガトロン、約束を破って済まなかった。始祖評議会の議員達に捕まってどうしても抜けられなかったのだ」
 あの時は下手な言い訳をして失敗したが、経験を積んだ今は何を言えば良いか承知している。
「償いにお前の望むことは何でもしてやるから許して欲しい」
 メガトロンの体にぴたりとくっついて言うと、メガトロンの体が一瞬硬直した。
「何でも?」
「何でも……」
 恥じらいを見せつつ大胆に誘うオプティマスの目に、メガトロンがあっさりと陥落したのが判った。
「ではキスを、プライム」
 その望みに応え、オプティマスがメガトロンの首に腕を回し、顔を傾けた。唇が唇に触れる。
 誘うように軽く舌を入れると、すぐにメガトロンの舌に絡めとられ深く口付ける。
「ん……」
 優しく、愛情に満ちたキスに満足の声を漏らしたオプティマスの顔をメガトロンが覗き込んだ。
「さっきの返事を聞かせてくれ、プライム」
 判っているくせに言わせたいのだ。何でもしてやると言った以上、オプティマスは素直に答える。
「私もお前を愛している、メガトロン」
 オプティマスの返事を聞くと、メガトロンがオプティマスの体を浚うように抱きしめた。体中がきしむかと思うほどきつく抱きしめられる。
「お前は俺のものだ」
 熱い囁きが耳元で聞こえる。オプティマスを欲しがるメガトロンの熱がオプティマスにも伝染し、オプティマスもメガトロンに腕を回してしがみついた。
「私は何者だと聞いたな?」
 想いが高ぶり、声が上ずる。体の力を抜いてメガトロンの腕に崩れ落ちるように身を任せる。オプティマスの体を受け止めたメガトロンが優しくオプティマスの体を横たえた。
 メガトロンがオプティマスの顔を覗き込む。
 闇の中に輝く赤い目。綺麗だと思って手を伸ばした。
 素直にそれが欲しかった。
 仰向けに寝たまま上へ手を伸ばし、頬に触れる。
「私はオプティマス・プライム。……お前の半身だ」
 闇の中に輝く赤い目がオプティマスに近づき、囁いた。
「おまえに触れる許しを」
「許す」
 即答したオプティマスが、熱に潤んだ瞳でメガトロンを見上げる。
「私に触れてもいいのはお前だけだ。私は誰にも触れられていない」
 お前が最後に触れてから。
 オプティマスはその言葉を飲み込んだ。今は言うべきではない言葉だ。
「愛しているぞ、プライム」
 メガトロンがそっとオプティマスの額に口付ける。
「俺の半身……」
 甘い囁きと共に、優しい口付けが幾つも降ってくる。オプティマスはそのたびに素直に声を出し、メガトロンの名を呼ぶ。
 メガトロンの愛を受けて心から幸せそうなオプティマスを見て、メガトロンは不安に取り付かれる。
「俺の記憶は完全でないのだろう。俺がまだ思い出していない事がある。お前が俺の敵になる理由……」
 メガトロンが黙りこんだ。
 俺はいずれプライムを失う。
 俺に抱かれ、こんなにも幸せな顔をしているプライムを殺さなけれならない。
 今が幸せであればあるほど、その事実が重く圧し掛かる。
 迷いを浮かべたメガトロンにオプティマスは急いで抱きついた。
「メガトロン、どうかこれ以上は思い出さないでくれ。そうすれば今が真実になる」
 これは夢なのだから。
 オプティマスが口に出さなかった言葉を察し、メガトロンが沈黙を続ける。
 オプティマスはメガトロンを抱きよせ、欲望の匂いがするキスをした。
 幸せと、身を切るような不安の狭間で、オプティマスはメガトロンを求める。
「私とお前の間にあった全ての事を思い出すまで、愛してから殺せばいい……」
 唇を離すと、オプティマスが囁いた。オプティマスの想いに胸を打たれ、メガトロンが情熱的なキスを返す。
 今のメガトロンの自己治癒能力ではボディの劣化を止めることは出来ない。
 メガトロンはいずれ消える。
 その事実を忘れようと、オプティマスはメガトロンに快楽をねだった。
 どうか、それ以上思い出さないでくれ。いずれ消えてしまうその日まで。
 メガトロンはオプティマスの望みに答え、激しくオプティマスを愛する。時に乱暴なほど激しい愛撫にオプティマスの目に涙がこぼれた。
 体を貫かれる喜びの涙なのか、メガトロンを失うことへの悲しみの涙なのか。
 オプティマスは口に出さず、メガトロンも聞かない。
 これは夢なのだから、信じたいものが真実になると知っている。






初出 2010.02.21発行 Infite Loop
2015.02.15 再録UP

inserted by FC2 system