メガトロンの幽霊
かつて永く宇宙を旅していた。
キューブを探し求めて星々を廻り、出会い、別れ、時に同胞であった敵とスパークを奪い合う。倦怠と絶望という悪い病に蝕まれながら続けてきた、辛く苦しい旅を。
地球という青く美しい惑星でキューブは失われ、旅は終わりを告げた。
敵であったメガトロンは海の底へ沈み、古い友も失った。
そして新しい故郷を得て、新しい仲間と新しい戦いがやってくる。
ディセプティコンズとの戦いの後始末をあらかた終わらせ、オプティマスは休息のために自室へとあてがわれた部屋へようやく戻ってきた。
オプティマスは地球側との交渉ごとを一手に引き受け、先ほどまでディエゴガルシア基地に居ながら時差を利用して世界中と話し続けていた。
不眠不休で動くオプティマスをラチェットがたしなめたが、今は何かをしていた方が楽だとオプティマスは言い、自らを痛めつけるかのように重荷を科す。
ついにすることが無くなって、オプティマスが些細な雑用にまで手を出し始めたとき、ラチェットの医者としての忍耐が我慢の限界を超えた。
休息の必要を感じないのは、高ぶったスパークが暴走した状態であるからであって疲労が蓄積していない訳ではない。このまま休まずにいるとボディにもスパークにも変調をきたす。
ラチェットはそう言って、オプティマスに軍医として強権を発動した。
強制的にスパークを休ませるためオプティマスにナノ注射を打つ。すぐに意識レベルが低下するので早く部屋に戻って下さいときつく叱られた姿をバンブルビーに見られなかったのはオプティマスにとって幸運だった。
自室に入ったオプティマスは浮かぬ顔で寝台代わりのリペア台に腰掛けた。
恐らくラチェットは知っていただろう。
私は休みたくないのだ。
内心で呟き、小さく排気する。
予定では、このままスリープ状態に入り、ラチェットのメンテナンスを受ける事になっている。だから休んだと誤魔化すことも出来ない。ラチェットがやってきた時に自分が目覚めたままならばまた大目玉を食らうだけだ。
ついに諦め、オプティマスはリペア台に横たわった。
ラチェットの注射の効果で。スリープモードに切り替えるまでもなく意識が薄れていく。
いつもならそのままスリープに入るのだが、オプティマスは意図的にパワーを落としていった。アラートを無視しパワーを落とし続けると、エネルギー不足でスパークの光が消え入りそうになった。生命維持のため動き出した機能も無理に止める。
死に近い闇の中で、見えないものを見ようとする。
全ての機械生命体が生まれ帰って行くオールスパーク。
以前、オプティマスが死の淵を彷徨った時に、オールスパークの中で遥か過去のプライムたちに会った。
その事をずっと考えていた。
オールスパークの中ならば、メガトロンに会えるかもしれない。
休むのが恐ろしかったのは、そうしてしまう自分を止める自信が無かったから。
オプティマスのスパークが死の領域へ深く沈んで、夢と現の境目がおぼろげになる。
オプティマスはオールスーパークのどこかにいるのであろうメガトロンへ思いを馳せた。
一つの旅が終わり、もうひとつの旅が始まった。
オールスパークへ帰った半身を探してオプティマスは旅をする。
深い海の底は暗く。
冷たく。
水に押しつぶされ。
忌々しい生き物が這い回る体を錆が侵食してゆく。
もっと深くへ。
オプティマスは望んだ。
メガトロンが味わっている苦痛はこんなものではない。
オプティマスのスパークが緩やかに深い海の闇と同化する。
閉じていた目をあけると、自室の天井が映った。
戻ってきたのか。
安堵と、残念な気持ちが混ざり合う。
試してはみたが、結局なにも起きなかったな。
宇宙と同じくらい広大なオールスパークの中からメガトロンを探し出すなど、最初から無理な試みだと判っていたが。
オプティマスが苦笑して体を起こす。まだ時間が早かったのか、来るはずのラチェットの姿が無い。
あまり休めなかったようだ。
自分のスパークが本調子でないことに失望しながらオプティマスは立ち上がった。もう一度休む気にはなれず、ラチェットに見つかって叱られるまで仕事をしようと執務室に向かう。
自室を出ても誰もいない。見知った風景なのにどこか違うような気がする。違和感に立ち止まると、背後に気配を感じ、オプティマスが振り返る。
オプティマスのレンズに映ったのは、銀色の金属でできた巨大な体。
赤く輝く目がオプティマスを見下ろしている。
「メガトロン!」
オプティマスが叫び、数歩後ろへ下がり距離をとった。
なんというミスだ。こんなところにまで侵入を許すとは……!
反射的に戦闘態勢に入る。戦闘用マスクを下ろし、背中のブラスターを抜く間も、メガトロンは赤い目を輝かせて立ち尽くしている。
様子がおかしい。
至近距離でメガトロンにブラスターを向けたまま様子を伺うと、動かないメガトロンの視線だけがオプティマスを横切った。
だが、メガトロンは表情一つ変えない。
まるでオプティマスがそこに居ないかのように。
私が見えていないのか?
オプティマスが戸惑っていると、不意にメガトロンが歩き出した。
しまった。
はっと我にかえり、動くなと言おうとしたオプティマスの体をメガトロンがすり抜けた。
「!」
何が起きたのか全く理解できなかったが、悠長に考える暇は無い。急いで振り返ると、メガトロンが突き当たりの壁へ吸い込まれるように消えていく。
何が起きている!
「ラチェット!」
苛立ちながらオプティマスは近くに居るであろうラチェットの名を呼んだ。
どういうつもりなのかは判らないが、メガトロンがディエゴガルシア基地の中に侵入して悪いことが起こらないはずが無い。
「はい」
オプティマスの呼びかけに対する返事は、幸いなことにすぐ近くから聞こえた。
「メガトロンがこの基地に侵入している! 早く追わねば」
メガトロンを見失ってしまい殺気立っているオプティマスの叫びに、ラチェットは落ち着いた声で応える。
「動いてはいけません、オプティマス。メンテナンス中です」
「メンテナンスだと? それどころでは……」
怒気を含んだオプティマスの声から勢いが削がれた。体は沢山のコードに繋がれ、居るのは殺風景な自室であることに気付いたのだ。
「メガトロンはここにはいません、オプティマス」
オプティマスを宥めるようにラチェットが言った。
「あなたは夢を見たのです」
ラチェットの言葉を聞き、オプティマスが手で顔を覆い排気した。
「……そうか。取り乱してすまない。メガトロンがここに現れる訳がないのだったな」
体調管理が出来ず、どこか機能がおかしくなったのだろう。オプティマスが自分の情けなさを責める。
「いいえ。メガトロンは確かにあなたの前に現れました。オプティマス」
そう言われて、オプティマスが怪訝な顔でラチェットを見る。
「あなたは夢を見て、メガトロンはあなたの夢に入り込んだ」
ラチェットの淡々とした言葉がオプティマスの思考を止めた。
「あなたの中にメガトロンがアクセスした形跡が残っています。どうやってかは判りませんが」
一瞬の沈黙の後、オプティマスが言った。
「それが事実ならば、おそらく私がメガトロンを呼び寄せた」
「それはどういうことです?」
「……私はオールスパークに入ることができる。限りなく死に近い状態に居る時に限るが」
「そんな危険を冒してまで何をしたかったのですか」
オプティマスはじっとラチェットを見る。ラチェットもオプティマスを見返した。
「メガトロンに会いたいと望んだ」
告白すると、無遠慮に何もかも見透かすようなラチェットの目から逃げるように、オプティマスは苦しそうに目を閉じる。
「……メガトロンは生きているのか」
オプティマスの振り絞るような声に、ラチェットは明確な答えを返せなかった。
「理論上では生きていると考えられません。海底に投棄する段階でメガトロンはなんの動きも見せなかった。だが、現にメガトロンはあなたに接触している……」
ラチェットは少し考えて説明した。
生きているとしても、せいぜい夢に入るのが精一杯の無力な存在であり、スパークを保っているだけでも驚きであるが、破損したボディに一機分を構成するほど大量の部品交換した上でオールスパークの力を注げば息を吹き返す可能性はゼロではない。
「今のままではとても生きているとはいえない。いわば幽霊です」
「メガトロンの幽霊か……」
ラチェットの言葉にオプティマスが目を伏せて排気した。
想うだけでも許されぬと判っていながら、夢の中ででも会いたいと望んだ。浅ましいほど狂おしく求めた。
それをラチェットに知られ、罪の意識に苛まれる。
「オートボット司令官として私の行動は不適切だった。すまない。もう二度としない」
「よろしいではないですか」
過ちを悔い、許しを請うオプティマスに、ラチェットは予想外の返事を返した。
驚いた表情の耳元でラチェットが小さく囁く。
「メガトロンを捕まえてしまいなさい、オプティマス。欲しいのでしょう?」
はっと顔を上げ、オプティマスがラチェットを見る。ラチェットの顔は本気だった。
「あなたの体に閉じ込めて、飼ってしまえばいい」
ラチェットは私の罪と欲を知っている。
そう思うと、恥ずかしさと罪悪感にオプティマスは身悶えた。
「ラチェット、私を誘惑しないでくれ」
オプティマスが逃げるように顔を反らす。
もう二度と会えないと思っていたメガトロンがずっと自分の側に居る。
体中が震えるほどの甘い誘惑。
埒も無いと笑い飛ばせ。何度も自分に言い聞かせるが、耐え忍び、疲れ果てたオプティマスにはそれができない。
「なにを迷うことがあるのです? 生きているならまだしも、死んだメガトロンです。無力で、あなただけの。だからあなたはメガトロンを愛して良いのです」
心が乱れ、揺れ動くオプティマスを見て、ラチェットが優しく言った。
あの強く凛としたオプティマスが迷い乱れる姿は扇情的で欲望を煽る。
「オプティマス、私は嬉しいのです。あなたはずっとオートボットの司令官として自分を犠牲にしてきた。そのあなたが、ようやく自分の望みをお持ちになった。あなたの望みならば、私は何でも叶えてさしあげたい」
罪と苦しみに苛まれながらも、羨ましいくらい素直に一途にメガトロンを想うオプティマスをラチェットはずっと見守ってきた。
耐え忍ぶオプティマスが、どれほど美しく健気であったか。
これを手放すとは、メガトロンも愚かな。
ラチェットが内心で呟いた。
「メガトロンはあなたのものです」
ラチェットの言葉に、オプティマスの青い目の光が艶を増し、じわりと熱を帯びる。ああと小さくため息をつくオプティマスの唇にむしゃぶりつきたくなる衝動を抑え、ラチェットはどうすればオプティマスを篭絡できるだろうかと考えをめぐらせる。
私が大事なのはあなた。メガトロンなど、あなたを喜ばせる玩具としての価値しかない。
メガトロンに愛されてあなたはどれほど美しくなるだろうか。
私は、満たされ、幸せなオプティマスが見たい。
そのためなら何でもするだろう。
「まあ、今はゆっくり休む事です。メンテナンスを続けますのでもう一度お休みなさい」
ラチェットは、アンプルに針を刺し込み、中の液体を吸い上げた。
私は、私の欲望をオプティマスに気付かせない。この先もずっと。
ラチェットを信頼しきった瞳で見るオプティマスの体に、ゆっくり魔法の薬を注射する。
青い光がとろりと潤み、視点の定まらぬ目でぼんやりとしている。ニ度、三度ゆっくりと瞬きをして、オプティマスのスパークは眠りへ沈んでいく。
「よい夢を、オプティマス」
ラチェットの甘く優しい声色をオプティマスは知らない。
終
初出 2010.02.21発行 Infite Loop
2014.12.30 再録UP
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