loser






 冷たい夜の雨は明かりを反射し、空から銀色の尾を引いて落ちてくる無数の小さな流れ星のように見えた。
 冬の寒い夜に濡れそぼった車を窓越しに見た僕は、思わず「寒そうだな」と思った。
 僕の初めての車で僕の大事な友達の影響だ。
 車なんか星の数ほどあるのに、僕の所に来た車は特別製。この間なんか拗ねてガレージに閉じこもっていたのを、高級オイルで外までおびき寄せた。
 いつもは車に擬態して狭いガレージで不自由している僕の友達は、フーバーダムでは遠慮する事なく本来の姿で寛いでいる。
「少し外の空気を吸ってくる」
 僕が言うと、バンブルビーは頷いた。僕がバンブルビーと一緒に遊んでいたゲーム機のコントローラーを床に置いたとたんに双子が奪い合いをはじめ、バンブルビーは双子を無視して一人プレイモードに切り替える。
 部屋代わりの倉庫から外へ出ると、冷気が僕の体を包みこんだ。
 雨がやんで空気が澄んでいる。月は出ていない。
 寒い……。
 思わず体を震わせ、ポケットに手を入れて夜空を見上げる。寒いけど、暖房とゲームの興奮で火照った体には気持ちいい。
 こんな寒い夜、いつもの僕ならすぐに暖かい部屋へ引っ込んでゲームを再開するのに、冬の夜を少し歩いてみようって気になったのは、冷たい雨に濡れた車を見たときに妙な胸騒ぎがしたから。
 胸のざわめきを静めようと思ってなんとなく歩き出す。
 遠くから水の音が聞こえる、人気のない夜。冬の冷気は頭をクリアにし、僕は色々な事をあてどなく考える。
 大学進学の事、ミカエラの事、バンブルビーの事、新しく宇宙からやってきた双子の事、そして、オプティマスの事。
 オプティマスの青い目を思い浮かべたとたん、はっと思い出した。
 ああ、そうだ。オプティマスの悲しい目を見たときに、僕はこんな気持ちになる。
 今僕の胸を占めるこのざわめきは、寂しさだ。そして罪悪感と悲しみ。
 どうしてそんなに悲しい目をしているの、オプティマス?
 ずっと聞けずにいる言葉。
 オプティマスはとても強い。心も体も。大きくて、強くて、頼もしくて、バンブルビーなんか、オプティマスより強い機械生命体はいないと崇拝しきっている。
 どんなに苦しい時でも、オプティマスはみんなを正しく導いて勇気を与えてくれる。みんながオプティマスを頼る。オプティマスはずっとその期待に応えてきた。
 だけど。
 誰がオプティマスを救ってくれるの?
 オプティマスの悲しい目を見るたびにその思いが過ぎる。でも僕はいつもそこで考えるのをやめてきた。
 高度に発達した機械生命体であるオプティマスにとって人間なんてとるに足らない生き物だろう。しかも僕はその人間の中でも若く未熟だ。だから僕なんかがオプティマスの力になんかなれっこない。星を統べる司令官の重圧なんて想像もできないしどうして良いか判らないし僕には重過ぎる。
 そんな理由で見ぬふりをした。 
 オプティマスと同じくらい強い誰かじゃないとオプティマスは救えない。
 でも、オプティマスを救えた唯一人はもういない。
 罪悪感に胸が締め付けられた。どうして良いのか判らなくて目をそらしてきたけど、心の底ではずっと気になっていた。
 心の中がざわめく。
 もし何の役に立たなくても、聞いてみればいいじゃないか?
 だって僕はオプティマスの友達なんだから。
 逃げていた気持ちと向きあって、僕はようやくそう思うことができた。 そう思ったとたんに、心のモヤモヤがすうっと晴れていった。
 僕が悩みを抱えていた時も、友達に話を聞いてもらえただけで心が軽くなった。
 そうだ、僕たちは友達だ。部下であるバンブルビーやラチェットには言えない事でも、僕になら言える事があるだろう。
 最初は、オプティマス達に出会ったのは偶然だと思っていた。僕は平凡な高校生。たまたま僕の祖父が北極を探検したので巻き込まれたのだと。
 だけど今は違う。きっと僕たちは出会うべくして出会った。
 共に行動し、信頼しあっていくうちに、僕はそう思うようになっていった。
 僕が世界を救うなんて、誰も考えもしなかった。当の僕でさえ。
 全身ぼろぼろになりながら、必死に僕にキューブを託したバンブルビーと出会わなければ、地球の為に自らの命を犠牲にしようとしたオプティマスと出会わなければ、僕はあんな事できやしなかった。
 宇宙からやってきた彼らの気高く熱い心に感化されて、僕もやるしかないと思ったんだ。気がついたら僕はメガトロンに向かって無我夢中で突っ込んでいった。
 勇気とか、信頼とか、僕はオプティマスからたくさんのものを貰った。大切な事をたくさん教えてもらった。僕は今でもただの弱気な高校生だけど、オプティマスたちに出会う前の僕よりは成長したはず。
 僕に出来ることがあればしてあげたい。どんな小さな事でも。
 いつもは、遠いディエゴガルシア基地にいるオプティマスがここにいる。僕の近くにいる。今を逃したら、次いつ会えるか判らない。
 チャンスは今だ。やるしかない。
 言おう。もし何の役に立たないとしても聞いてみるんだ。 
 僕は決意した。
 すぐにオプティマスに会いに行かなくちゃいけない。弱い僕の決意はすぐにくじける。真夏のソフトクリームのように。今すぐ言わなきゃまた言えなくなってしまう。
 今度こそオプティマスの気持ちを聞いてみよう。僕は心に誓った。すぐにだ!


 ソフトクリームは溶けなかった。
 僕がありったけの勇気をかき集め、決意して角を曲がったところに。
 冷たい夜の雨に濡れて佇むオプティマスを見て僕は確信した。
 僕たちは不思議な絆で結ばれている。って。
 いつからそこにいたのか、雨はやんだというのに、全身濡れそぼった姿で真っ暗な空を見上げている。
 また、あの悲しい目をして。
「オプティマス」
「サム……?」
 僕が声をかけると、オプティマスは驚いた様子だった。
 どうしてここへ?
 瞳で語りかけるオプティマスに、僕はなるべく明るい声で言う。
「散歩してたんだ。濡れたアスファルトってなんか好きでさ。オプティマスも好き?」
 何を言っているんだ僕は。
 緊張のあまり変な事を言ったけど、オプティマスはあまり気にならないようで、僕の言葉を肯定して頷いた。
「好きだ。滑りやすいが」
「オプティマス、一緒に向こうへ戻ろうよ。みんないるし、暖かくて、君がきっと気に入るような良いオイルもある」
「ありがとう。だが少し一人にしていてくれないだろうか?」
 オプティマスは静かに微笑みながら言った。気分を害するほどではないけど、儀礼的な口調で。
 いつもそうだ。オプティマスの心に踏み入ろうとすると、オプティマスはやんわりと身を引く。だから僕はそこで引き返してしまう。
 また、悲しい気持ちを一人で抱え込んでしまうつもりなんだ。
「だめだよ、オプティマス」
 反射的に声が出た。つい大きな声になってしまって焦る。
「その、すごく体が冷たくなってるし。雨にも濡れてるし」
 僕がしどろもどろになって言うと、オプティマスの微笑みが優しくなった。
「心配してくれてありがとう、サム。だがこれくらいの気温ならば私の機能に障害が出る事は無い。それより君が心配だ。君が気遣ってくれたように低い気温は健康に良くない。私よりも君の健康に悪影響を及ぼす恐れがある」
「違うよ。その、健康上……の理由じゃなくて、気分の理由でさ」
 不思議そうに首をかしげたオプティマスに僕は思い切って言った。
「こんな寒くて暗いところに一人でいちゃダメだ」
 勢いのまま僕は続ける。
「少なくとも、僕は、人間はそうなんだ。寒いところに一人でいると、悲しいことばかり思い出す。君たちだってきっとそうだ。オプティマスも悲しいこと考えてたんだろ? そんな顔をしてる。ねぇオプティマス、よかったらだけど、一人で抱え込んでる事僕に話してみない? きっと心が軽くなるよ」
 僕の言葉を聞きながら、オプティマスがゆっくり瞬きする。青色の綺麗で悲しい光が瞬く。
 息を吸って、僕はオプティマスの顔を見上げた。ずっと言えなかったことを言う時が来た。
「ひょっとして、メガトロンの事を考えていた? 一人で悲しい顔をしていたのはそのせい?」
 僕とオプティマスの間に沈黙が広がり、オプティマスはじっと僕を見ていた。
 オプティマス、言っていいんだ。僕には言っていいんだ。
 僕はオプティマスの目を見返しながら、心の中で祈るように同じ言葉を繰り返していた。
 オプティマスは深く排気し、口を開く。
「深い海の底は、ここよりはるかに暗く寒いだろう……」
「だからこんなに寒いのに雨に打たれていたの?」
 オプティマスは僕に軽く頷いた。
 オプティマスが自分の気持ちを言ってくれたことに、僕は安堵のため息をついた。直接的じゃないけど、これで充分だ。
「誰から聞いたなんて野暮なことは言わないで」
「私の部下にはおしゃべりが多すぎて、誰が言ったか検討がつかない」
 僕が先に釘を刺すと、まさにそれを聞こうとしたらしいオプティマスが苦笑して言った。
「メガトロンの事、『兄弟』って言ったよね。メガトロンもオプティマスの事を兄弟って呼んだ。それをちょっと不思議に思ってさ、聞いたら教えてくれたんだ。人間の兄弟とは違うけれど、オプティマスとメガトロンはお互いとても近しい存在だったんだって」
 僕の言葉を聞いて、オプティマスが悲しげに排気する。
「信じられないかもしれないが、メガトロンの腕が私を守っていた事もあったのだ」
「うん。少しだけど、昔の話を聞いたよ」
「私にとって、側で支えてくれたメガトロンの存在がどれほど貴重だったか。その腕は堅固な砦のように、私と私の星を守ってくれていた」
 オプティマスは悲しげに微笑んだ。
「遠い昔の話だ。私にとってさえ。今となっては、その輝かしい思い出が悲しい。今やメガトロンはセイバートロンに仇をなした反逆者として海に沈んだ。どうして、なぜと責める事もできない」
 辛そうに目を伏せ、オプティマスはゆっくりと首を振る。その仕草からオプティマスの悲しみと無念さがにじみ出る。
「僕に言わなかったのは、気を使ってくれていたから?」
「それもあるが。口に出せば、心が軽くなるからだ」
 オプティマスは不思議な事を言った。
「軽くなれば良いじゃないか」
 僕は思わず言い返した。僕はよっぽど不思議そうな顔をしていたのだろう。オプティマスが理由を教えてくれる。
「まだ未熟だった私にメガトロンは言った。どれほど苦しくとも、孤独であろうとも、悲しみや怒りを口に出して軽くなってはいけない。怒りや悲しみを飲み込んで重くなった体こそ星を統べる司令官の重圧に耐えられるのだと」
 だから、辛いとも苦しいとも、誰にも言わなかったのか……。
 僕はやっとオプティマスが全てを自分で抱え込もうとしている理由を知った。
 オプティマスは、冷たい雨に濡れ、暗く寒い海の底に沈んでいるメガトロンを想って悲しんでいた。
 でも自分だって辛いじゃないか。
 苦しみも悲しみも悩みも、誰にも頼らず、ずっと一人で耐えているなんて。
 なんて孤独なんだろう。
 そんなの辛すぎて体も心も壊れてしまう。
「私はよくメガトロンの言いつけを守っていると思う。だが、重い体を引き摺るのに疲れてしまう時があるのだ。ちょうど今のように」
「いいよ、言ってよ、オプティマス。僕には言っていいんだ。僕は話を聞く事しかできないけど、それで君が少しでも楽になれるのなら話して欲しい」
 僕は必死になって言った。
「愛していたんだろう、メガトロンの事を」
「まだ愛している!」
 弾かれたようにオプティマスが言った。ずっと抑えていた気持ちが迸るように、感情を露にした激しい言葉だった。僕は何も言えずプティマスの顔をじっと見る。
「この先もずっと愛しているだろう」
 どこか遠くを見ながら、オプティマスはゆっくりと言った。
 忘れた方がいいなんて軽々しいことは言えなかった。
 愛しても辛いことばかりだというのは、オプティマスが一番良く判っているだろう。
 気の遠くなるほど長い間考え抜いて、苦しみぬいて、心を見据えて残った気持ち。
 オプティマスは僕に微笑みかけた。
 悲しくて、綺麗な笑み。苦しみの果てに得た、様々な感情に磨かれて澄んだ笑み。
 未熟な僕は気のきいた事を何一つ言えない。ただ、オプティマスの心の深さに心を打たれて、僕はその笑みに見とれていた。
 オプティマスの笑みが悲痛な表情に変わり、僕ははっと我に帰った。
「私はメガトロンを失った。愛する者と、怒りをぶつける相手を一度に失ったのだ」
 オプティマスの、悲しみを吐き出すような声に僕の胸も痛くなる。
「メガトロンだけではない。豊かだった故郷を失い、バンブルビーの声を失い、ジャズも失った……」
 過去に囚われたオプティマスの青い目に悲しみが揺らめく。その目は僕を見ず、辛い思い出の中を彷徨っている。
「オプティマス」
 思わず呼びかけると、オプティマスのうつろな目がようやく僕を見た。
「私は敗者だ。破滅の運命を変えられなかった。負けたのだ」
「オプティマス、お願いだから」
 もう一度呼びかける。
 どうかそんな風に考えないで。
 どうして良いか判らず、僕はオプティマスの名を呼ぶことしか出来ない。無力な自分が腹立たしい。
 だけど、オプティマスが感情を乱したのはその時だけだった。
「私は何に負けたのだろう。それが判らないのが悔しい」
 ぽつりと呟いたオプティマスはすでにいつものオプティマスに戻り、強さを取り戻した目でまっすぐ僕を見て言った。
「失ったたくさんのもの、痛み、怒り。我々はそれらを乗り越え生きていかなければならない。このスパークの痛みもやがて忘れる……。私にはそれができる」
 ふっと悲しい表情を浮かべ、オプティマスは言った。
「それが今はひどくやりきれない」
「君から愛する人を奪った僕の事を怒っている?」
 おそるおそる聞いた僕に、オプティマスは頭を振った。
「怒っていない。あの時も言ったが、君には感謝している。オートボット司令官ではなく、メガトロンの半身としての私の望みは、メガトロンにこれ以上罪を犯させない事だった。そのためにはああするしかなかった。私自身では果せなかった望みを君が果してくれたのだ」
 オプティマスは一呼吸おいて続けた。 
「君には感謝と、そして、すまないと思っている、サム。あれは君のではなく私の背負うべき荷だった。司令官としても、私個人としても」
「僕はあれでよかったと思ってる」
 僕は急いで言った。
「僕はちっぽけで未熟な普通の人間だから、オプティマスの司令官という重圧の事はわからない。だけど、君の友達として思う」
 僕の気持ちが上手く伝わっているか心配で、一生懸命言葉を選ぶ。
「どんな理由があろうと、オプティマスが愛する人を自分の手にかけなくてよかったって。だってそんなのオプティマスが辛すぎるじゃないか」
 僕の言葉に、ああ……とオプティマスが小さく声を漏らし、堪えきれないといったように目を閉じた。
「僕は、多分、そのために君に出会ったんだ。オプティマスの荷物をちょっと軽くするため」
 照れくさくて、最後はちょっと冗談めかして言うと、オプティマスがとても真剣な目で僕を見ていた。
「……サム、君はちっぽけなどではない」
「いや、いいんだ。自分の事くらい判ってるよ。でも卑屈になってるわけじゃないんだ。こうやってオプティマスの気持ちを聞けたんだからね」
 そう言って僕が肩をすくめて笑うと、オプティマスは不服そうな顔をしている。なにか言いたそうなのを見ないフリして続けた。
「僕は、なんの力もしがらみもないからこそオプティマスの心を軽くする事ができる。それを嬉しく思うよ」
 ちょっと偉そうかな? と思ったけど、僕はオプティマスに笑いかけた。
「サム、君は私の命を救ってくれたばかりではなく、私の心も救ってくれた」
 そう言ってくれたオプティマスの言葉がとても嬉しかった。やっぱり、勇気を出して言ってよかった。
 僕が嬉しくてニヤニヤしていると、オプティマスがちらっと僕に意味深な目線を送った。
「私の心を捧げる相手を間違えたな。サムにすべきだった」
「ちょっと、何言ってるんだよ!?」
 巨大ロボットの癖に流し目が色っぽいから、ちょっと本気で恥ずかしくて僕は慌てた。たぶん僕いま顔赤い。
「年上は嫌いだろうか?」
 そんな問題じゃないと突っ込む余裕もない。
「からかうのやめてよ。僕今度こそ本当にメガトロンに殺されるから!」
「奴なら海の底で朽ちている」
 僕の悲鳴のような声も無視してきわどい事を言う。絶対敵に回したくないタイプだ。
「何!? ひょっとして僕に普段言わないこといろいろ言ったから恥ずかしいんだろ、オプティマス! だから僕をからかって誤魔化そうとしてるんだろ!」
 オプティマスが一瞬面食らった。まじまじと僕の顔を見る。たぶん僕が必死すぎて引いたに違いない。恥ずかしいったらない。
「サム、あらためて君に私たちの代弁者になって欲しい。きみは他の人類より我々についてほんとうによく知っている」
 真面目な口調でオプティマスが言う。新しいからかいのネタだろうか? 突然なに言ってるんだよほんとに!
「代弁者とか急に訳わかんないよ! 僕は大学に合格できるかで頭がいっぱいのただの高校生なんだから。もうみんなのいる部屋に帰ろうよ。ここは寒くて健康に悪いからさ! あー寒い寒い。はやく暖かい部屋でマリオカートしよう。双子にコントローラー取られてるだろうからオプティマスが取り返してよ!」
 僕が照れ隠しの大声で言うと、オプティマスがずーっと頭の上で笑ってる気配がした。




                                        終
初出 2010.02.21発行 Infite Loop
2014.10.19 再録UP

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